日本学術会議の会員として同会議に推薦された105名のうち6名が推薦されなかった問題について私見を述べておきたい。
なお,あくまで法解釈を追究するものである。
問題の条文は以下のとおりである。
日本学術会議法
第七条 日本学術会議は、二百十人の日本学術会議会員(以下「会員」という。)をもつて、こ れを組織する。
2 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。
(3項以下略)
第十七条 日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者の うちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦する ものとする。
つまり,法律上,①日本学術会議が候補者を内閣総理大臣に推薦し,②その推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する,というプロセスを辿る。
総理大臣が推薦に基づかずに誰かを会員に任命することは明白に違法である。今回の問題も,これの埒外にある。
問題は,推薦された候補者を,総理大臣が拒否して任命しないことができるか,というところにある。
この問題について,法律には,できるとは書いていない。一方で,たしかに,できないとも書いてはいない。
私は,この法律を素直に読めば「できない」という結論になるのが自然であると思う。
もし任命拒否ができるのなら,「ただし,内閣総理大臣は,推薦された候補者に●×▲の事由があるときは,任命を拒否し,再び候補者の推薦を求めることができる。」と書き加えるのが普通であろう。
ただ,解釈の余地はあるので,もう少し,法律の全体や立法過程を踏まえて,じっくり検討してみたい。
ここでまず,極論を突き詰めたときのことを考えてみたいと思う。
もし,任命拒否を可能とした場合,時の総理が,自身の意に沿う学者が同会議によって推薦されるまで,延々と任命拒否をし続ければ,すべて自身の意に沿う学者で満たすことが可能である,という事態が生じうる。もちろんこれは極論であるが,法律上の可能性としてはありうる。
他方,任命拒否を不可能とした場合,同会議には一切の民主的コントロールが及ばないといっても過言ではない。
このそれぞれの事態に注意して,条文を見ていきたい。
まず第1条を見てみよう。
この条文からみると,同会議は内閣総理大臣が所轄し,経費は税金から支払われる仕組みになっている。
内閣総理大臣の所轄ということは,素直に考えれば行政権に属するといえるし,税金が付されるわけだから,民主的コントロールが及ばないという結論には違和感がある。
第二条 日本学術会議は、わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする。
しかし,第二条を見ると,学術会議の位置づけは,「我が国の科学者の内外に対する代表機関」だとしている。なるほど,科学者の代表という位置づけなのであれば,その人事を科学者で完結させることは全くといって良いほど自然である。
先の条文を読み進めてみる。
第三条は,日本学術会議は,独立して,科学に関する所定の職務を行う,としている。何からの独立なのかは書いていないが,素直に読めば,”何からも独立して”という意味だろう。
第四条は,政府が同会議に対して所定の事項ついて諮問することができるとしている。
第五条は,政府に対して,所定の事項について勧告することができるとしている。
諮問することができるからといって,上下関係(指揮命令関係)があるという必然性はないし,一方で,勧告することができるということは,やはり独立性の要素が強い。
ここまで読みすすめてみると,日本学術会議は,政府とは独立の関係にあり,その独立性も強いという評価が妥当なように思う。
さて,人事という面で,別の条文を見てみよう。
第二十五条 内閣総理大臣は、会員から病気その他やむを得ない事由による辞職の申出があつ たときは、日本学術会議の同意を得て、その辞職を承認することができる。
第二十六条 内閣総理大臣は、会員に会員として不適当な行為があるときは、日本学術会議の申出に基づき、当該会員を退職させることができる。
25条は,辞職の場合の規定であり,本人の申出→会議の同意+内閣総理大臣の承認というプロセスがある。
26条は,退職の場合の規定であり,学術会議の申出→退職させるというプロセスがある。
さて,いずれの場合も,学術会議がNOといえばNOという点では共通している。では,学術会議がGOを出した(25条の場合は同意,26条の場合は申出をした)にもかかわらず,内閣総理大臣がこれを拒否することができるのか?ということも問題になろう。任命の裏返しの問題として参考になる。
ここでくせものなのが,25条は「承認することができる」26条は「退職させることができる」という条文になっているということである。一般に法律の読み方として,「できる」というのは,「しなくてもよい」ということを含意しており,主体には,するかしないかの裁量権があるといわれている。
ただ、そういう書き振りだからと言って、必ずしも裁量権があると解釈しなければならない必然性があるわけではない。もっとも,”条文の素直な読み方”というのは,法解釈の出発点であるから,この点は軽く見てはならない。
さて最後に、この法律の歴史を見ていきたい。
衆議院のホームページに、改正前の本法が掲載されていた。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/00219480710121.htm
ここで何よりも目を引くのは、もともと学術会議会員は、科学者による選挙によって選出されており、内閣総理大臣の任命など存在しなかったということである。
しかも、先の辞職・退職の点も、内閣総理大臣の承認等など存在しなかった。
学術会議の人事は、科学者達において完結していたのである。
では,なぜこれが推薦制に改められたのか,が重要である。
選挙制がはじめて推薦制に改められたのは,昭和58年の第98回国会で可決された改正法である。
その趣旨説明が,第98回国会参議院文教委員会第6号に載っていた(ネットにも載っているのでURLを載せておく)。
kokkai.ndl.go.jp
長くなってしまうが,参考人の岡倉古志郎氏の答弁を抜粋する。
「 しかし、その後この選挙制度については従来の全会員を選挙で選ぶということについては深い反省が施されました。あらゆる制度がそうですけれども、国会議員の選挙も含めましてすべての制度に欠陥がないというものはあり得ませんで、学術会議の会員公選制という制度にもさまざまな欠陥がございます。そういう点をどう是正するかという配慮から、この三分の二までは有権者たる科学者による直接選挙で選ぶ、残りの三分の一についてはその当選した科学者が、これなかなか日本語にうまくならないので横文字で申し上げますが、いわゆるコオプションに基づく推薦制を併用するというのが結論でございます。
なぜこういうことを考えたかと申しますと、そもそも改革を考える基本的前提として、今度の法改正の理由にも挙げられておりますが、学問、科学研究の多様化とか細分化とか、とりわけ複合的、学際的領域の出現というような状況がございまして、これに対応しなければ学術会議の職務は果たし得ないということでございますので、その点を考えますと、たとえば複合的、学際的領域からの会員を選挙によって選ぶというのは大変むずかしいことで、そういう方々に推薦によって加わっていただける。それからまた、国際学術団体がいまたくさんございますが、日本人の科学者でその会長とか副会長をやっていらっしゃる方もいっぱいございます。そういう方の中の主な方だけでも学術会議の会員にいわばなっていただく。これも選挙では必ずしも制度的にうまくまいりません。
それから、お隣におられて大変失礼なんですけれども、向坊先生のような日本でも屈指の見識のある科学者がおられますが、向坊先生は会員選挙では落選されたことがございます。これは選挙制度の一つの欠陥でございまして、そういう方に、選挙でたとえ出られなくてもぜひ出てほしい、会員になってほしい方は、推薦制度でコオプション制ならば加わっていただけるというような配慮で、この一部推薦制というものを取り入れられたのがこの改革要綱の基本的な会員選出制度についての考え方でございます。」
つまり,推薦制に移行したのは,複合的・学際的領域から会員を選ぶためには選挙制では難しいため,推薦制に改めた,ということである。
これの当否はさておき,もともと学術会議の会員の選定は,選挙制度の下で科学者の中で完結されていた。その後,推薦制に改められたが,それはその人事を行政が担うべきだという理由で改められたわけでは無い。あとは,本論を扱った他の記事の色々なところで引用されているように,内閣総理大臣の任命は形式的な任命行為である,と解釈されていたのである。
そうすると,学術会議のメンバーは,もともと科学者達によって決められていたのであって,行政,あるいは行政を通じた民主的コントロールの余地は無かった。改正法によってこれは推薦制に改められたものの,その趣旨は,会員の選任権を行政に委譲するべきだということにあったわけではなかった,という経過を辿っていることになる。
ここまで見てくると,現行法においても,学術会議の会員の選任権は,学術会議にあると解釈することが妥当な解釈であると見ざるを得ない。先の25条及び26条も,法文上は裁量権があるように見るのが素直だとしても,形式的任命に対応して,これも形式的なものであると読むのが素直だということになろう。
日本学術会議は,先に述べたように,日本の科学者の内外の代表機関という位置づけ(2条)なのであって,その会員を誰とするかについて科学者の中で完結することはいたって普通であるように思う。むしろ,そこに行政が介入する必然性が無い。
唯一気になるのは,予算が国費持ちだという点であり,民主的コントロールを及ぼすべきなのではないかという点であるが,上述したこの法律の制定過程や,学術会議の法律上の位置づけを見ると,科学者を信頼して会員人事を任せた,と読むほかないように思う。
私は以前の記事で,検察人事は内閣を通じて民主的にコントロールするのが本来であり,そしてそうあるべきだ,と述べた。このこととの整合性が問われるかも知れないが,検察官の権力は学術会議とは質的に全く異なり,そして強大であるからであって,学術会議人事とはまた異なる,というべきである。
つまり,今回の菅総理の任命拒否行為は,法律上許されないー違法であるというのが結論である。