悲劇の中で

33名(現時点では34名とも)の方が悲劇に見舞われた事件が発生した。

亡くなられた方,そしてそのご遺族の方には,心より哀悼の意を表明したい。また怪我を負われた方に対しては,一日も早く回復を望んでいる。

 

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しかし,この時期にこんなことを書きたくは無かったが,この事件に関して,看過しがたい記事を見つけてしまったので,コメントせざるを得ない。

www.cyzowoman.com

 

以下,弁護士のコメントの引用。

 

「この鑑定において、医師等が専門的見地から、『まさに罪を犯そうとしているときに、精神の障害により物事の善悪を判断できる状況にあったか』を検証し、裁判所に意見を提出します。裁判官はこの意見を踏まえて、法律的見地から『この人物に刑を適用して罰するべきかどうか』を判断するわけです。なお、起訴するかしないかを判断する検察官が、起訴する前に科捜研などで被疑者に検査を行い、『この人物は心神喪失だ』と判断した場合には、そもそも『起訴しない』こともあります。この場合は、刑法第39条を適用するわけではなく、『起訴しない』という判断になります」

「今回の事件においては、犯人性(犯人ではないこと)を争うような弁護活動は無理ですし、情状を酌んでもらうような弁護活動も無理でしょう。となると、“お決まり”のように、心神喪失心神耗弱を主張するなどといった弁護活動がなされるでしょうが、報道によれば、青葉容疑者は犯行直後に『パクられた(真似された)』と、動機のようなことを口にしていたとのこと。そのような状況であったならば、心神喪失心神耗弱を主張するような弁護活動も、まず無理でしょう。公判において、もし青葉容疑者が罪を認めるのであれば、弁護人は余計な弁護活動をするべきではないと考えます」

 

この弁護士のコメント内容は,およそほとんどの内容が間違っている。

弁護士が間違ったことを言っているのがそのまま間違っているのか,それとも弁護士が正しいことを言っているのに記者が間違っているのか,というのはよくわからないが。とにかくコメントが間違っている。

①まず,責任能力における「行動制御能力」の要素が欠落している。

②検察官が責任能力がない(という疑いが残る)と判断すれば不起訴になるのはその通りだが、刑法39条の適用がないというのは誤りといって良い。当該犯行に刑法39条の適用がある(という疑いが残る)という判断から、公訴を維持できないから起訴しないのである。そもそも、実体法の適用の有無と検察庁の処分を同レベルで論じること自体がおかしい。

③科捜研で責任能力鑑定をやるなど無いはず。聞いたこと無い。あったとしても例に挙げられるような一般的なものではない。

④なぜ証拠も見ていないのに犯人性を争うのが無理と判断できるのだろうか。極めて難しいことは報道の情報からすると推察できるが,この段階で,どんな証拠が眠っているかはわからないはずだ。報道レベルの知識しか持っていない立場で弁護活動の可能不可能を論じる資格はない。

⑤「パクられた」という動機があることで,なぜ責任能力を争う余地がなくなるのか。動機の了解可能性は単なる1つの要素であって、それがあるから必ず完全責任能力になるというわけではないし,そもそも了解可能かどうか,この一言では判断がつかないはずだ。「お決まりのように」などというが、異常な犯罪が生じた場合に本人の責任能力に目を向けるのは当たり前であり、何らの調査もしないなら弁護過誤と言ってよい。

⑥被疑者が罪を認めたら余計な活動をするべきではない、というのは、職務放棄である。

 

およそ弁護人の役割も責任能力の概念も刑事実務も理解していない内容である。「誤報」と評価して良い。

 

たしかに,このような惨劇が生まれ,その原因を作った「かもしれない」人に対して,やり場の無い怒りをぶつけたくなるのは気持ちとしては理解できる。

しかし,こと弁護士が,もしくはこと弁護士のコメントを得た者が,こうやって世間にウケそうな浅はかな,しかも誤った内容を,さも正しい専門知識かのように世間にロールアウトするのは,極めていただけない。

こういった重大事件だからこそ(事件の大小で役割が変わるわけでは無いが),弁護人はその役割を貫徹し,その訴追されうる(された)人の権利を最大限に保護し,ひいてはこの国の適正な司法システムを守らなければならないのである。

本当にこの弁護士がこのようなコメントをしたのならば、バッジを外すべきである。