この国を憂う③裁判所の弱さの原因

日本の裁判所の弱さの原因は、いろいろあるけれども、根本的には歴史的背景と国民性が大きいのではないかと思う。

 

 

イギリスは、国民の力で、王から国民へと主権を移したという歴史的な実績がある。自由主義が息づいているのである。

アメリカは、イギリスからの植民地支配から、自らの力で独立したという歴史的な実績がある。権力に対する根本的な不信が根付いている。

こういった歴史をもつ国々は、裁判所に対する期待が強い。

しかし、日本はそういう経緯を辿っていない。天皇主権から国民主権に移ったのは、敗戦して、他国の手によって強制された事柄である。勝ち取った、という言葉にそぐわない。

むしろ、日本は、お上に逆わない基本的な国民性を有している。裁判所も、普通の国民から見れば、「お上」という位置づけなのだろう。

そうであれば、少数者のために空気を読めない判決を遠慮無く下す土壌に欠けているというべきなのだろう。

 

個々の裁判官をみると、昔は判検交流などと呼ばれるものがあったり、法務省のポストに出向したりすることがひとつの出世ルートになっているなど、なぜか行政とつながりを深めたがっている。これは裁判官だけに見られる現象でもない。国民はやはり、行政を「お上」ととらえ、その「お上」に成り上がることはとても名誉に感じる人が多いのだろう。

 

この土壌では、空気は読めていないが憲法と原理原則に従った冷静な判断を、裁判所に期待する方が難しいのだろう。

 

(つづく)