賭博はなぜ犯罪なのか

時機に後れ気味であるが,東京高検検事長であった黒川氏の賭博問題について扱う。

 

黒川氏は,緊急事態宣言のもと,さらには自身が社会問題のやり玉にあがっている状況のもと,いわゆる三密下でマスコミ関係者と賭け麻雀をしていたために,盛大に批判を受けた。

 

批判されている主なポイントは以下の4点であると思われる。

①犯罪である賭け麻雀をしていたこと

②公務員が自粛要請下で不要不急の三密だったこと

検察庁法改正法案が国民的議論を呼び起こし自身にも批判が及んでいる中での軽率行動

④マスコミとの癒着

 

私個人としては,②③は正直どうでもいい。自粛要請に従う義務は公務員にだってないわけだし,むしろ最も問題視したいのは,あまり騒がれていない④の問題,つまり検察官とマスコミがこのように癒着していることである(もちろん取材の自由があり,人々の知る権利に奉仕する意味で必ずしも全てを批判したいわけではない。時間があればこの問題意識を別途記事にしたいと思っている。)。

 

 

さて,①の問題はどうだろうか。

たしかに我が国の刑法では,賭博行為が犯罪とされている。

しかし,覚せい剤と同じように,やはり考えて欲しい。なぜ賭博が犯罪とされているのか,ということを。

これは最高裁判例がある。最大判昭和25年11月22日・刑集4巻11号2380頁である。これは賭博開張図利罪の事件であるが,賭博行為について以下のように述べている。

賭博行為は、一面互に自己の財物を自己の好むところに投ずるだけであつて、他人の財産権をその意に反して侵害するものではなく、従つて、一見各人に任かされた自由行為に属し罪悪と称するに足りないようにも見えるが、しかし、他面勤労その他正当な原因に因るのでなく、単なる偶然の事情に因り財物の獲得を僥倖せんと相争うがごときは、国民をして怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基礎を成す勤労の美風(憲法二七条一項参照)を害するばかりでなく、甚だしきは暴行、脅迫、殺傷、強窃盗その他の副次的犯罪を誘発し又は国民経済の機能に重大な障害を与える恐れすらあるのである。これわが国においては一時の娯楽に供する物を賭した場合の外単なる賭博でもこれを犯罪としその他常習賭博、賭場開張等又は富籖に関する行為を罰する所以であつて、これ等の行為は畢竟公益に関する犯罪中の風俗を害する罪であり(旧刑法第二篇第六章参照)、新憲法にいわゆる公共の福祉に反するものといわなければならない。」

時代柄もてつだって,非常に難解であるが,賭博をけちょんけちょんに言っていることがわかる。要するに,偶然に任せて財産を得ようとするもので,「勤労の美風」を害する,副次的犯罪を誘発する,国民経済の機能に重大な障害を与えるおそれすらある,と言っている。

 

「勤労の美風」とは一体何なんだろうか。労働は美しいというのは,普遍的な価値観なのであろうか。国民をだらけさせてないで働かせるために賭博が禁止されるという意味にほかならないのではないか。これを受け入れられるだろうか。

たしかに賭博で人生を破滅させる人はいるだろう。でも,これも覚せい剤と同じで,前者はパターナリスティックな問題であり,やる人を刑罰という重大な不利益を正当化するほど合理性があるだろうか。

また,たしかに賭博ゆえの犯罪というのはあるだろう。しかし,これも覚せい剤と同じで,賭博ゆえの犯罪は,そもそもその犯罪自体が処罰されている。やはり,刑罰という重大な不利益を正当化する合理性があるだろうか。

 

また,疑問に思ったことはないだろうか。

「競馬や競艇も同じでは?なぜ公営ギャンブルがあって,それが許されているの?」

「カジノ誘致しようとしてるよね?」

 

結局,賭博罪も,所詮は国の都合に思えて仕方が無い。

無論,たしかに賭博には上記のような問題があるので,じゃあ野放しでいいのかといわれると,ためらいを感じる。刑罰として禁ずることが全く不合理ではない,とも言えるのかも知れない。

 

ただ,ここで私が言いたいことは,賭博の何が悪いから黒川氏を批判するのか,ということを考えて欲しいということである。

ダメなんだからダメに決まってるだろ,というのは単なる思考停止であり,国の都合に踊らされているというべきである。