刑事裁判とマスク

裁判員裁判で弁護人がマスク着用を拒否したことが話題になっている。

批判する論調もある。

 

しかし,なぜ裁判員裁判でマスクをすべきなのか,私には全く理解ができない。被告人も,弁護人も,そして裁判官も裁判員も証人も検察官も全員マスクを外すべきだ。

 

なんのために公判を開くのか,なんのために公判廷で証拠を取り調べるのか,考えて欲しい。

 

刑事裁判は,「言葉」だけのやりとりをすれば良いというものではない。

刑事裁判は,法廷で見聞きした全てが証拠となり,逆に,法廷で見聞きした全て「のみ」が証拠である。刑事裁判で登場する,すべての人物ー被告人,証人だけではなく,関与する全当事者のコミュニケーションの結集こそが「公判廷」なのである。

人間のコミュニケーションは,言葉だけで行っているものではない。「目は口ほどにモノをいう」「口角があがる」「小鼻を膨らませる」という言葉があるように,言葉ではないコミュニケーションがある。

刑事ドラマなどでも,わずかな表情の変化から犯人を察知するようなシーンが描かれている。

マスクは,そういう表情の微妙な変化を遮断する。コミュニケーションを不完全なものにする。それは,刑事裁判を不完全なものとすることにほかならない。

 

一方で,新型コロナウイルス感染症拡大防止というのは,たしかに重要な要素である。

しかしながら,各当事者同士は,それなりに距離が取られており,検察官同士,被告人・弁護人同士,裁判官・裁判員同士はともかく,各グループ同士は2m以上離れているだろう。たしかに法廷はオープンエアーではないので,ソーシャルディスタンスのみでは心許ない。

ただ,じゃあマスクをすれば良いのか。色んな医師の意見を見ているが,結局,「しないよりは飛沫が飛ばない」,というくらいの意味合いに過ぎない。接触をしない,距離を取る,ということこそが有効な感染症拡大防止策である。

だから,「マスクするしない」の論点は極めてくだらない。むしろ,さもマスクが免罪符かのように語られる論調には強い疑問を覚える。結局「しないよりはしたほうが,受け手としては安心」という意味なのだろう。いかにお互いの適切な距離(感染拡大防止とコミュニケーションの両方の観点から)を取るか,を議論する方がはるかに重要であり,それでも心配ならば,コンビニのように透明なシート?をぶらさげたり,アクリル板などを導入すればよい。

 

これは「刑事裁判を受ける権利」「証人審問権」の問題であり,かつ,日本の刑事司法システムの根幹の問題である。「マスクをすることによる医学的には必ずしも正しいとはいえない安心感」「アクリル板を買う金がありません」に劣後する問題とは到底思えない。